Apr 23, 2009

よく利用するようになったコピー用紙

私は最近、コピー用紙を頻繁に使用されます。学生の時も美大に通っていたので、何か物を作成するときに絵を描いたり、PCで作成したイラストを印刷して表示したり、コピー用紙、紙にコラージュの様々な紙を貼って見てドイトオトスプニダ。しかし、社会人になってから別の紙を使用しないようになっていました。家に多くのコピー用紙があり、色もそのようなスヘトギので、また何かに使用するではないかと思っていました。この時期になると、年賀状を作成できるので、何度部の印刷に利用しています。残りはわずかの家計簿をつけたり、工夫して使うようになりました。
店頭ポップなどの用途に使用するために購入した厚手のコピー用紙が残っていたため、インターネット上で無料の画像などをダウンロードする画像処理ソフトウェアで簡単な字幕を作成し、コピー用紙に合わせて印刷するだけで何枚か撮って、それをホチクキスエソ立てて簡単に絵本のようなものを作ることができます。完全な創作絵本を作成できるため、子供もあきずに楽しんでもらえるようです。
 (パ・リーグ、オリックス0−4日本ハム、3回戦、日本ハム3勝、21日、京セラD大阪)翔タイムの幕開けだ! 日本ハム・中田翔内野手(22)が21日、オリックス3回戦の二回に今季1号の先制&決勝本塁打を放った。開幕8試合目で飛び出した一発で、チームを首位タイ浮上に導いた。

【写真で見る】中田翔が放った今季1号

 思い切り胸を張った。今季初めて上がったお立ち台。中田の頼もしい声が京セラドームに響き渡った。

 「打った瞬間、完ぺきだったので、いったと思いました」

 思い切りシバいた。二回一死。フィガロの150キロ直球をライナーで左翼席へ突き刺した。開幕8試合、27打席目で放った今季1号の先制&決勝アーチ。ベンチに戻るとホフパワーに「どんな気持ちだ?」ときかれ、笑顔で「アイ・アム・ハッピー!」。22日に22歳を迎える誕生日を自ら前祝いした。

 開幕から5試合連続で無安打に終わった苦しみがウソのようにバットが振れる。2試合連続のマルチ安打。チームを首位タイに押し上げた。「本塁打よりチームの勝利に貢献できたことがいちばんうれしいです」と会心の表情だった。

 今オフの合同自主トレでは大阪桐蔭高の先輩・西岡(ツインズ)の薫陶を受けたが、その先輩は左足腓骨の骨折で戦線離脱中だ。

 「連絡はとってないです。1年目のけがはこたえるものだから。今は教えてもらったことで自分が変わったところを見せたいんです」

 いよいよ大砲モード全開。本格ブレークの朗報を、海の向こうの先輩に届けてみせる。


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 (セ・リーグ、ヤクルト2−0中日、3回戦、ヤクルト3勝、21日、神宮)バレンティンが値千金の2号2ラン。四回一死一塁から、川井の初球131キロの直球を中越えに運んだ。初のお立ち台では、ホワイトセルにシェービングクリームを顔に塗られ「何とか点をとろうと思っていた。クリームの味は全然良くないよ」と苦笑い。小川監督は「前の打席から雰囲気があったので期待していた。対応力を感じる」とたたえていた。

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 (セ・リーグ、阪神1−3巨人、3回戦、巨人2勝1敗、21日、甲子園)巨人は開幕戦の宇部から、北九州、広島、甲子園と続いた11泊12日の長期遠征を白星締め。4勝3敗1分けと勝ち越した原監督は「勝つことがチームにとって非常に重要である中、全員がそう思って勝てたことは非常によかった」と価値ある1勝とした。22日からは4日間試合のない変則日程で、「修正点もある。いい形でゲームを迎えたい」と次戦の26日のヤクルト戦(静岡)を見据えていた。

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 ラグビー日本代表が21日、アジア5カ国対抗に向けて、香港へ出発した。東日本大震災による津波で宮城・気仙沼市内の実家が流されたPR畠山健介(25)=サントリー=は15〜17日まで被災後、初めて帰省。変わり果てた風景に絶句した。自ら撮影した実家近辺の被災映像をおさめたデジタルカメラを持参し、1カ月以上に及ぶアジア遠征に旅立った。

【写真で見る】早大ラグビー部が被災地でバケツリレー

 普段はあまり使わないデジタルカメラが、畠山の必需品となった。「(被災状況は)想像をはるかに超えていて、涙も出なかった…」。

 3月11日の被災後、畠山はすぐに帰省したかったが、状況が落ち着くまで神奈川県内で待機。代表の宮崎合宿終了後の15日、「わが家」に戻った。

 実家近辺の多くの家も流され、被災前は実家から見えなかった海がみえた。116キロの巨漢は、がれき処理のために長靴も持参したが、手作業では困難を極める惨状に、言葉を失った。そして、被災した映像をあえてカメラにおさめた。心のよりどころを失っても、気仙沼市内にとどまってゼロから再起を目指す家族の話を聞き、畠山は改めて自らの生き方を自問した。

 「帰省前は心がすっきりしなかったが、逆に気持ちの整理がついた。チームの勝利のため、今を一生懸命に生きたい」。家族の悲願でもあるW杯出場へ、今大会で一歩ずつ階段をのぼる。


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