Dec 12, 2009

職員研修の服装を"通常"として知られて

初めて就職したときの入社式前に、他社との合同1泊2日の従業員研修に参加するように命令しました。 "服装"と尋ねると、"普通をお勧めします"と。ことで、皆カジュアルな服装のトレーナーにチノパンなどのラフな服装で参加しましたが、サードパーティ製の方は皆さんスーツ。そうなのか、従業員研修の一般的な服装はスーツだったのか、と初めて理解しました。
最近では、クリアファイルが当たり前のように使用されるようになった。家庭より事業、職場で使用される方がほとんどだ。昨年、転職時に職業安定所の職業訓練の就職活動の基礎知識の講義を受けた。久しぶりに書く履歴書の最初に書く職務経歴書。そして、その書類を採用応募先にメールする、クリアファイルに入れてA4サイズの封筒で郵送することが望ましいと指導を受けた。小さな袋に入っ入れる時代しか知らないので、これもクリアファイルがあってこそ、ビジネスマナーのだ。
 東京電力福島第一原子力発電所2号機のタービン建屋につながる作業用トンネルの立て坑にたまった、高濃度の放射性物質で汚染された水の水位がさらに上昇したことがわかった。

 東電が16日午前、記者会見し、明らかにした。

 作業用トンネルの立て坑にたまった高濃度の汚染水は、12?13日に除去した結果、一度は水位が地上から97センチ下と6センチ下がったが、その後上昇し、15日午前7時には地上から91センチ下と元の水位に戻っていた。

 東電によると、水位は16日午前7時に地上から88・5センチ下まで上昇し、汚染水を除去する前の水位より2・5センチ高くなっていた。

 東電では、汚染水の流入経路について調べている。

 福島第1原発の事故で福島県南相馬市から避難してきた一家と、津波で家を失った宮城県山元町の一家が、同県角田市の避難所で出会い、子どもたちを中心に交流を深めている。南相馬市の家にはカメラや写真を取りに帰れず、山元町では津波がアルバムを奪っていった。思い出を取り戻せない2家族に話を聞き、新たな交流を写真に撮り、贈った。

 原発から約25キロ、屋内退避区域の南相馬市原町区の自動車整備会社社員、菅野孝志さん(47)は先月17日、放射性物質の危険から逃れるため、妻亜紀子さん(39)、長女朱音(あかね)ちゃん(10)とともに、最小限の荷物を持って車で北へ向かった。

 避難所のあてはなかった。宮城県に入り、約40キロ離れた角田市でガソリンが切れかけた。「どこか避難所はありませんか」と尋ねた小学校で、同市尾山にある老人福祉センターを紹介された。一家はその後、山元町から避難してきた甲州正人さん(35)一家と出会った。

 津波で同町高瀬にある自宅を流された甲州さんは、両親、妻望さん(34)、長男大河(たいが)君(5)と先月21日から避難している。被災後、数日身を寄せていた宮城県白石市の親類宅から山元町に戻る途中、ガソリンが切れかけ、ここにやってきた。大河君は、園児たちが送迎バスごと津波にのまれ犠牲になったふじ幼稚園に通っていたが、祖母のミキ子さん(56)が津波に遭う直前、車で園まで迎えに行って逃げたため無事だった。

 被災後しばらくは「早くふじ幼稚園に行きたい」とぐずることが多かったが、今は朱音ちゃんが大河君の遊び相手になり励ましている。2人は毎日、携帯ゲーム機で遊んだり、サッカーをしたりし、子どもたちにつられて、両家族も次第に交流を深めていった。

 家があるのに戻ることのできない菅野さん一家と、戻る家を失った甲州さん一家はそれぞれ家族の写真をほとんど持っていない。撮影すると、甲州さんは「地震後1枚目の家族写真です」と笑顔で話した。朱音ちゃんと大河君が元気にサッカーをする写真も撮った。

 両家族は近く、市が準備した同じ雇用促進住宅に移る。亜紀子さんは「これからはご近所になります」と明るく話した。【杉本修作】

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 大震災で多くの児童が被災し、現在も150人の町民らが避難する岩手県山田町立大沢小学校で、被災児童が復興への思いやボランティアへの感謝などをつづった学校新聞「海よ光れ」を作った。月1回発行を続けている新聞の78号で、児童は「『自分たちができることをしよう』とみんなに伝えたかった」という。始業式の19日、全校児童や卒業生、避難所で暮らす被災者に配布する。

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 ◇岩手・山田町立大沢小の「海よ光れ」

 トップ記事には「負けるな よみがえれ 大沢の海よ光れ!」の見出しが躍る。担当した大川海成(かいせい)君(12)は「大津波に遭った怖さを書こうとしたけど、最初は何も頭に浮かばなかった」と話す。家は100メートル以上流され、親戚方に家族で身を寄せる。何度も原稿を書き直し、転校した友達にも触れながら「大沢の人達が元気を出せるようにまず私達が元気よく明るく生活しましょう」とまとめた。

 「海よ光れ」は04年創刊され、津波に苦しみながら捕鯨などで海と共生してきた歴史を伝える学校劇から名前を取った。児童が編集方針から取材、割り付けなどもし、全国小・中学校・PTA新聞コンクール(毎日新聞社など主催)で全国上位受賞を続ける。

 震災前には6年生の卒業を特集する78号を準備していたが、「新年度に力を与える新聞を作ろう」(指導する佐藤はるみ教諭)と学校や付近に避難する前児童会メンバー4人が集まった。大沢小で避難生活を送る6年、福士悠太君(11)は避難者への思いやりを訴える記事を書いた。「太陽の光できらきらしている大沢の海が大好き。元気で明るい大沢であるように僕たちも頑張りたい」と話す。【林哲平】


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